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0.序章 [硝子の森]

 かつて、そこにあった存在は何もない……。
 荒れ果てた星。
 どうしようもなく淀んだ空気。水。
 風は毒を運び、かつては青色だったと伝えられる海の水は触れたくもない臭気を放っている。
 「青き星」
 そんな名で呼ばれたこともあったか。
 今は、死んだ星。

 荒廃した大地。
 戦いに戦いを重ね、その果てでの世界統一。
 一度は戦争を放棄したはずの平和な世界。
 そして……やがて起こった、権力争い。
 それは、決して武力によるものではなく。しかし、確実に世界を蝕んだ。

 今も残る、灰色に固められた世界。
 聳え立つ様々な形のいびつな塔。
 もはや用を為さなくなったそれは、しかし、破壊することもできずに今も大地を覆う。

 豊かではない大地。
 耕しても、最低限の実りすら得られない痩せた大地。
 自らに残されたものにしがみつくように、人は暮らしている。
 争いもなく。
 皮肉な話ではあった。
 日々を生き抜くことで精一杯の彼らは、戦うことすらできないのだ。
 全てが平等に過酷な世界に於いて、彼らは寄り合うことで生きている。
 全てのものを、自らの手におさめようなどという考えは、彼らにはなかった。

 そうしたところで、何ひとつ得るものがないことを、彼ら自身よく知っていたからだ。


第1話第2話


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1.はじまりにあった存在 -1- [硝子の森]

 風が吹いた。
 灰色の砂塵を巻き上げて、乱立する廃虚の隙間を吹きぬける。

 ここは、「死んだ星」
 灰色の大地に占拠された、哀しい廃虚。
 僅かに生き残った人々が、ただ、がむしゃらに日々を送っている世界だ。

 その少女は、遥か昔に倒壊した塔の残骸。積み重なった瓦礫の上に立っていた。
 何も映してはいないような深い闇色の瞳で、ぼんやりとくすんだ色の空を遠く見上げている。
 砂塵を運ぶ風に揺れる、肩よりも少し長い髪も夜闇を切り取ったような漆黒。
 少女は、小さく唇を開きそっと息を吐き出した。

 かつては青だったと伝わる空が、その片鱗を見せることも今はもうない。
 伝えられる美しいモノは、全て消えてしまった。
 それを招いたのは、他ならぬこの星の住人で。彼らは永劫に過去の罪を贖い続けるのだ。
 選ぶ事すらも赦されずに。

 そんな事を考えて、彼女は微かに唇を震わせた。
 白い、陶磁器のような透明感のある肌に、その紅をさしたわけでもない紅い唇が不思議な印象を残す。
 少女の目線が、ふと下に向けられた。
 その先には、己の右手の指先に鼻をこすりつける動物がいる。
 銀色の体毛に被われた、獣--狼。彼女の腰の辺りに頭が来る体高の銀狼だ。
「リュヌ」
 鈴を震わせたような、そんな透明な声で。彼女はそう囁いた。
「時間は平等で残酷だよね」
 顔の表情を殆ど動かさないままに、そう言葉を紡ぐ。
 銀狼はただじっと己の蒼い瞳で、少女の瞳を見つめていた。

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1.はじまりにあった存在 -2- [硝子の森]

 どれくらいの時間がたっただろう。
 ぱり……。と、何かを踏み砕くような音がして、少女はそちらに首を巡らせる。
 その視線の先には、ひとりの青年が佇んでいた。
「君は……?」
 青年は眩しそうに、自分より高い位置に立つ少女を見上げる。
「私を呼ぶための名前は、もうずっと前に失われてしまったから」
 淡々と応えるその少女に、青年は激しい違和感を覚えた。
 何に対してかはわからない。
 けれども、少女の周囲の空気だけ、何か異質なものであると感じてしまう。
 白い肌に漆黒の髪と瞳。そして、紅い唇。
 つくりものめいて見える程に整った容貌の彼女が纏うのは、瞳と同色の黒衣だった。
 丈も袖も長い、裾の広がった黒無地のワンピース。
 衿元を飾る白いレースだけが、唯一の明るい色で。喪服のようだと、彼は思う。
「きみが……」
 ぽつりと少女が呟き、その声で青年は我に返った。
「私を見つけたのなら、きみの心には何か叶わぬ望みがあるんだね」
「え……?」
「でも、今日は、いやだな。今日だけは、いやだ」
 少女が何を言っているのかわからずに、彼は眼を瞬かせる。
「今日は、彼が産まれた日なの」
 彼女はそっと銀狼の頭に手を触れた。応えるように、狼はゆっくりと瞳を閉じる。
「だから、きみを楽にしてあげられないんだ」
 申し訳なさそうに呟く少女に、苛ついて青年は思わず声を荒げた。
「何だって言うんだ。わけがわからないよ。君は一体なんだ? 何者なんだ? ここで、何をしている? それに……僕には望みなんてものはない」
 そこまでを一気に吐き出す。そして、彼は所在無く口を噤んだ。
 少女の黒眼が、静かに己を見つめていることに気付いたのだ。
「ほんとうに?」
 溜め息を吐き出すような微かな声音で、彼女が囁いた。
「…………」
 何故だか、本当だと言い切れなくて彼は目線を反らす。
「私は、ひとつの記憶の欠片。君を楽にしてあげられる。代償に、君が幸せをくれるならば。けれどね、今日は彼が産まれた日。今日だけは、いやなの。出来ないの」
 やはり、彼女の言っていることは理解しがたい。
 17、8歳に見えるこの少女。
 ひょっとしたら、頭が少し弱いのかもしれない。彼はそう思った。
「おめでたい日だからかい?」
 彼が産まれた日。
 そう彼女が言ったから、とりあえず訊いてみる。
「ううん。哀しい日だから」
 その結果、青年は更に困惑する答えを得て微かに左眼だけを眇めてみせた。
「君--、ええと、なんて呼んだらいいのかな」
「呼ぶための名前はね……本当に、消えてしまった。私はもう、私ではないし。記憶の欠片にすぎないから。けれど、ネージュ・ノワール。そう、呼ばれることもあるよ」
「Neige Noire?」
 矛盾した名前だなと思いながら、青年は少女の言葉を脳裏で反芻し、訝るような顔になる。
 そんな彼に構うことなく、少女は足下に控える狼を示してその名を告げた。
「うん。彼はClair de Lune。月の光を集めたみたいな毛色でしょう? だから、リュヌ」
 女の子みたいな名前だけれどね。と、少女が笑った。
 青年はその鳶色の瞳を細めて、彼女を見つめる。
「失礼なことをきくけれど。君は、人間なの?」
 気を悪くした様子もなく、少女は小さく首を横に振った。
「じゃあ、君は何者なんだ? ネージュ」
「記憶の欠片」
 呟いてから、彼女は空を仰ぐ。
「良かったら、話してあげるよ? 普段は絶対に話さないんだけれどね。今日は、特別な日だから。 そして、特別な日に、私を見つけたのはあなたが始めてだから……」
 少女はそっと手を伸ばした。
 そして、彼の頬に落ちかかる金色の細い髪に触れる。
「綺麗な髪だね」
 あどけなく笑い、彼女は髪に指を絡ませた。
 肩までには届かない彼のその髪は、するりと少女の指を逃れて青年の頬に落ちかかった。
 君の髪の方がよほど綺麗だ。そういいかけて、彼は口を噤む。
 少女の闇色の瞳の中に、静かな炎を見たのだ。誰にも触れることを赦さない、静かな炎を。
「聞かせて、もらおうかな」
 ゆっくりと、少女の唇に笑みがのぼる。
「うん、私もね。誰かに聞いてもらいたいなって思っていたの」

 銀狼が、蒼い瞳を細めて心配そうに少女を仰いだ。

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1.はじまりにあった存在 -3- [硝子の森]

 倒壊した灰色の建造物の谷間に、ぼんやりと黒髪の少女が立ち尽くしていた。
 空から注ぐ光は、曇っているわけでもないのに、常にくすんでいる。
 その中にあって、彼女の存在は人の眼を惹いた。
 確かに彼女は生者であるのに、まるで造り物のような印象を周囲に与えるのである。
 崩壊した風景の中で、彼女だけが一点の綻びもなく異質であった。

 と、彼女が小さく首を傾げて後方を振り返った。彼女の視線が向けられる先には、いつの間に現れたのか背中の曲がった老婆が立っている。
「願いを、叶えたいのかい?」
 しわがれた声で、老婆が囁いた。
「願いなんて、私にはもうないから」
 冷たく、拒絶するように少女は言い放つ。
「叶えたい夢なんて、もう、ない。全部、消えちゃった。全部、失くしちゃった」
 そう言い募る彼女の眼には、くっきりと泣きはらしたような跡があった。
「もう、2度とは叶わない。だから、私は、もう何も望まない」
 淡々と言葉を紡ぐ少女に、老婆は思惑の見えない表情で少女の顔を覗き込む。
 少女は胡散臭そうに老婆を一瞥し、僅かに眉をしかめた。彼女の前に立っているのは、別れて5分後には顔も思い出せないだろうというくらい、何の特徴もない老婆だった。
 にじり寄る様に老婆が近づいて来た分、少女が後退する。
 彼女の靴が砕けた瓦礫の破片を踏んで、それは乾いた音をたて更に細かく砕け散った。
「おまえさんの望みを、必ず叶えてやろう。但し、それなりの代償はもらうことになるがね」
「叶わないって言ってるじゃない」
 苛立たしそうに少女は言葉を吐き捨てる。
「失ってしまったの。2度とは戻らないの! そんな都合のいい夢を見れるはずないじゃない」
「いいや」
 はっとするほど、しっかりした声で否定しながら老婆は首を横にふった。
「必ず叶う。叶えてやるさ」
「あなたは、誰なの?」
 ここへ来て初めて、少女は老婆の存在を訝しんだ。この一体には集落は存在していない。そんなことは、とっくにわかっていたことだった。
「私はひとつの記憶の欠片--」
 謎かけのような答えに、少女の柳眉が跳ね上がる。その様子を見て、老婆は微苦笑を浮かべた。
「からかっているわけではない。そうとしか言い表せぬ存在なのさ」
「人間……なの?」
「いいや。そうとは言えない存在だね」
 少女は小首を傾げて老婆を見つめる。彼女の言葉を、どう受け止めれば良いのか迷っているような表情だった。
「キオクノカケラ?」
「そう、この世界の記憶の断片。ずっとずっと昔から、私はひとつの記憶の欠片。私を見出した者は、皆、深い願いを胸に抱えている者ばかり。私は、その者達の願いを叶える。代償と引き替えに……」
「代償って、何なの?」
「さぁ? 時によるね。時には命、時には記憶。望む者の、『幸せ』を代償に貰うのさ」
「私は、何を代償にしたらいいの?」
 ぼんやりと虚空に目線を移す様に、視線を彷徨わせながら少女が呟く。
「おまえさんは……代償を支払うことはない」
「……?」
 言葉なく漆黒の眼を瞠る少女に、老婆は底知れぬ笑みを向けた。
「おまえさんは、やっと現れた私の後継。私がおまえさんの願いを叶えたら、私の役目はそこで終わりだ。おまえさんが新しい『記憶の欠片』となるのさ」
「私が?」
「そう……。私は、長くここに留まり過ぎた。もう、疲れてしまった。いい加減に解き放たれたいのさ。……この世界が崩壊するよりも前から、私は、記憶の欠片だったのだから」
 そう呟く老婆の言葉には、得体の知れない空虚さが感じられる。
 少女は小さく嘆息を漏らしてから、伺うように囁いた。
「私が欲しいのは、失くしてしまった人の心だよ? そんなもの、叶うわけないでしょう?」
 --探るように、囁いた。


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1.はじまりにあった存在 -4- [硝子の森]

「叶うさ」
 あっさりと簡単に言い返されて、少女はしばし言葉を失う。
「本当に?」
 再び探るような声音になり、少女は老婆の顔を覗き込んだ。
 そこで初めて、彼女が赤銅色の肌をしている事に気付く。その瞳は透き通った青色で、皺がれた風体からただひとつ浮いて、爛々と輝いていた。
「但し、おまえさんに『記憶の欠片』となる覚悟があるのならば」
 逆に瞳を覗き込まれ、少女は俯いてしまう。
「どうだっていいのよ。どうせ、死んでしまうつもりだったんだもの。ただ……ひとつだけ心残りがあって。それが、どうしても叶えたくて、叶わなくて……諦め切れなくて……」
 少女は呟いてから、きつく唇をかみ締めた。
 黒眼が潤んで、今にも透明な雫がこぼれそうになっている。
「大切な人がいたの。ううん。今でも、大切な人。ずっと、隣にいてくれるって思ってたの。でも、駄目だった。……伝えられなかった言葉を伝えたい。今のあの人には、私の言葉は届かないから。『言葉』が届いたとしても、私の『心』が届かないから。ただ、一言でいいの。あなたが大切なんだって、大切だったんだって伝えたい。あの頃の、あの人に。それだけが、私の願いなの」
「…………」
 老婆は沈黙したまま、静かに少女の瞳を見つめていた。
「あのね。本当は、時間を戻してって言いたいのよ。でも、それじゃ、きっと私は同じ事を繰り返してしまう。だから、彼の心だけでいい。あの時に戻して欲しい。そして、伝えさせて」
「それは……、とても傲慢な願いだと、気付いてはいるのかい?」
 静かに問われて、彼女は唇を歪めながら頷いた。笑みを浮かべようとして、失敗した。そんな表情で。
「勿論だわ。でも、それだけなの。私の望みはそれだけ。他には何もいらない。失ってしまうまで、気付けなかった私には、もう……他には何も望めないの」
 涙をこぼすまいと、強張らせた表情。
 けれども、その努力も空しく、次から次へとその頬に雫が伝う。
 短く、強く。息を吐き出してから、老婆は小さく囁いた。
「その望み、確かに承った」


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1.はじまりにあった存在 -5- [硝子の森]

「但し、ひとつだけ条件がある」
 涙を拭う少女に、老婆が言った。
「真実を、相手にうちあけること。自分が過去の存在であると、告げること。それが条件だ」
 それは当然のことだ。彼女は大きく頷いて、了解の意を示した。


 そして、今。瓦礫の上に、静かに少女は立っている。
 彼女に向かい合うように立つのは、短く切り揃えられた銀の髪を持つ青年だった。彼の二つの瞳は、澄んだ蒼色をしていて、かつての空はきっとこんな色だったんだ。と、少女は思う。
「どうかしたの?」
 自身を呼び出しておいて何も切り出さない少女に、青年がそう問うて来た。
 彼女はびくりと身を竦ませて、定まらないでいた視線を彼に固定する。
「どうしても、伝えたいことがあって」
「珍しいね。君がそんな硬い表情をしているの。もしかしたら始めて見たかもしれないな」
 彼は、柔らかく微笑んでそう言った。
「うん、そうかもね」
 曖昧に笑んで、少女はまた空を見上げる。彼とまともに顔を合わせることが出来ないのだ。
 それは、起きてしまった現実のせいなのだろうか、それとも巻き戻した時間への後ろめたさなのだろうか。とにかく、こんな表情を見せるのはきっと初めてだ。そして、これが最後になる。
「あのね」
 彼女は、歯切れ悪くそう呟いた。
「黙って、聞いてね。口はさんだら、やだよ?」
 怪訝そうな顔で。けれども頷いてみせる彼に、少女は強張った笑みを向ける。
「あなたのこと、とても大事に思っているんだよ。言ったこと、なかったけれど。あなたは私にとって、とても大切な人だった。今まで、ありがとう。私を愛してくれてありがとう。とても、幸せだった」
 青年は蒼色の瞳を細め、僅かに戸惑ったような表情になった。
「うれしい言葉だけれど。どうして、過去形なの?」
「もう、過去だからよ」
 はっきりと言葉を紡いでから、少女は泣き出すまいと唇をかみ締める。
「どうして?」
「あなたにとっては、もう、過去だから」
「ごめん。言っている意味が良くわからないよ」
 眉間に寄せた皺を深めて問う彼に、少女は簡潔に事の顛末を説明した。
「--だから、あなたにとってはもう過去のことなの。けれども、私はこの言葉だけどうしても伝えたくて。今のあなたは、決して私の言葉を聞いてはくれないから。だから、『記憶の欠片』に願いを叶えてもらったの」
「やっぱり、意味がわからないな。一体、どうしたっていうんだ?」
 苛ついた様子を隠せず、彼はそう言葉を紡ぐ。少女は曖昧に微笑んで見せ、小さく首を横にふった。
「うん。わかってくれないでいいよ。わかってって言うほうが無理だもの。ただ、私はもう、どこにもいない存在で、あなたにとっての過去なんだってこと。そして、あなたをとても愛していた女がいて、愛されて幸せだったって事。それだけわかってくれたら、いい。それ以上は、何も望まないよ」
「…………」
 尚、理解に苦しんでいる様子の彼に、少女は嘆息と共に言葉をかける。
「今、あなたは、私の傍にはいないの。別の人の傍らで、幸せに暮らしている。私はさっきの言葉を伝えたいがために、無理矢理、あなたの時間だけを戻してもらったのよ。それと引き換えに、私は私の存在を失くすの。だから……もう、あなたとは2度と会えない」
 青年は何度か唇を開閉させて、言葉を捜している様子だ。
「さよならなの」
「勝手すぎる」
 少女が放った別れの言葉に、やっと、彼はそう言葉を吐いた。
「うん。わかってる。でも、何も伝えられないでいなくなるのは嫌だった。伝えるのが遅すぎたこともわかってる。物凄く、勝手だっていうのもわかってる。でも、貴方は実際に違う道を選んだのだもの。私がいなくたって、大丈夫なはずでしょう?」
「僕は、そんな未来、知らないよ」
「けれど、実際に、起こったことよ」
 少女は低く呟いて、青年に寄り添う。そして、その背に腕をまわして、そっと愛しそうに彼を抱きしめた。
「元気で」
 溢れそうになる涙を無理矢理に堪え、彼女はそう言って笑う。
「……存在を失くすって……」
「人間じゃなくなるの。私という人間は、消えちゃうのよここから。あなたは……巻き戻されたあなたの時間は、あと少ししたら元に戻るから。だから、安心してね?」
 掠れた声で伝えながら、少女は彼から離れた。それから、心を断ち切るようにして、踵を返す。
「どうして」
 心の整理がつかないまま、ぼんやりと彼は呟いた。
 その言葉は、そのまま彼女の言葉でもある。
「ずっと、あなたを見ているから……」
 彼に届くか否かの、小さな声で少女が囁いた時。パリン--と、何かを踏み砕く高い音がした。
 澄んだ音。
 それは。
 不審に思った少女は、慌てた様子で振り返る。
「何を、……」
 彼女の瞳に映ったものは、割れた廃墟の透明な破片--それはかつて硝子と呼ばれるものだったが--を右手に握り締めている青年の姿だった。
 鋭利な欠片は、当然のように彼の掌を傷つけて、紅い筋を作っている。
「何してるの?」
 喉が異様に渇くような、張り付くような、そんな感覚がした。
「信じることなんて出来ないけれど。僕が違う道を選んだというのならば。君に信じてもらえるように。今度こそ、間違わないように。……僕は、君と共に行く。永遠に、僕は、君と共にある」
「なに、言ってるの?」
 声を張り上げようとすればするほど、掠れた声しか出せない。それでも、少女は慌てて青年の立つ方に足を進めた。
「馬鹿なこと、言わないでよ!」
「……馬鹿なこと、かな? 君のいない未来なんて僕にはいらないんだ。それ程までに想う君とは別の道を歩いているなんて、信じられないんだ。君がさっき言ってくれたことなんて、知ってたよ。言葉でもらったことはないけれど、知っていた。それなのに、時間を戻さなければそれを聞くこともしない、僕の未来なんて……」
 自嘲的な笑みを浮かべ、彼は応える。そして……そのまま、瓦礫の破片を己の首筋にあてがった。
「やめ、て……っ!!」


 腕を伸べかけた、少女に。--紅い、飛沫が降りかかる。


「どうして?」


 少女は、そのまま、その場に膝を折った。


「私は、また……間違ったの?」


呆然と呟く言葉が、虚しく廃墟に吸い込まれる--。


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1.はじまりにあった存在 -6- [硝子の森]

「そのあと『記憶の欠片』が現れた。彼に縋りつく私を見て、まだ旅立っていなかった彼の魂を、彼女の最後の力でリュヌにしてくれたの」
 ああ、そうか……と、青年は思った。だから、この少女は喪服を着ているのだ、と。
 リュヌが生まれた日は、そのまま『彼』が亡くなった日を指し示すのだ。
「『記憶の欠片』は、その後で、私に世界が壊れる前のことを少し教えてくれた。私が、混乱しないようにって。あまりにも今と違うものが多いからって」
 そんな青年の思いを知ってか知らずか、少女は淡々と語り続ける。
「君は……全ての記憶を。世界の全ての記憶を持っているのかい?」
 ふと気になって、そう訊いてみた。そうだとしたら、心が破裂したりはしないのだろうか。それが気に掛かったのだ。
「ううん。違うよ。んっとね、その辺を漂っているような感じ。通り過ぎていくっていうか……。時折私の前に現れて、夢を見せてくれるような感じよ」
 全部の記憶を持っていたら、気が狂っちゃうわ。と彼女は笑った。
 この世界には楽しいことよりも哀しい事の方が多くて、辛いもの……と。
 青年は、逡巡してから彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。少女は彼の緑色の眼を反らすことなく見つめ返す。
「僕にはね……記憶がないんだ。気が付いたら、今住んでいる村にいた。村の人に拾われたんだ。その人の話によれば、僕は一人で村から少し離れた荒野に倒れていたらしい。名前すら覚えていなかった僕に、彼らはCielという名をくれた。僕は、今、それなりに幸せなんだ。望むものなんてないと思う。それでも、僕の心の奥底に望みがあるとするなら……それは、失われた記憶に関わっているのかな? 君には、それが何だかわかるのかい? ネージュ」
「わかる、よ。君の、心の声が聞こえるから。心は覚えているから。君が喩え全てを忘れてしまっても、失ってしまっても。その心だけは、鮮明に全てを覚えているの。そして……叫びつづけている。求めつづけている」
「教えてくれとは……、言えないのだろうね。きっと」
 躊躇いがちに吐き出された問いに、彼女ははっきりと頷いて見せた。
「それは、あなたが思い出すことだから」
 青年は小さく頷いて、右手を差し出す。
「また、君に会えるかい?」
 ネージュは掴み所の無い表情で微かに笑い、青年--シエルの手をとった。
「君に、望みがある限り、君は私を見つけることができるよ。『硝子の森』は君を歓迎する」
「硝子の森?」
 訝しげに彼が首をかしげ、少女は自分の言葉が足りなかったことを悟る。
「ここの辺り、崩壊前は『高層ビル群』っていうものだったんだって。高い高い建物の群れ。その建物には、風は通さないけれど、光は通す透明の硬いものが張り巡らされていてね。崩壊を迎えてしばらく、その『ガラス』と呼ばれるものが砕けて、地に刺さって、まるで森のようだったって。だから、この辺りは『硝子の森』って呼ばれているの。……私は、いつもここにいる」
「硝子……」
「うん。キラキラしてる。凄く綺麗よ? 破片しか、もう、存在しないけれど」
 そういって、少女はおもむろにしゃがみこんだ。指先が地を彷徨い、すぐさま目標物を見出してそれを摘み上げる。
「これが硝子の欠片。風に晒されて丸くなっているけれど」
「綺麗だな」
「でしょ? 他の土地には、もうあまり残っていないの。……これは、危ないものでもあるんだよ。見てて」
 笑いながら、彼女は手近にあった瓦礫のひとつに硝子の欠片を打ち付けた。高く澄んだ、けれども耳障りな音がして、欠片は綺麗に二つに割れる。
「彼が、生命を絶ったのも、この破片だった……」
 虚ろに呟きながら、少女は欠片の尖ったほうを己の左手首に押し当てた。一瞬の後、彼女の手首に紅い筋が疾る。
 それは、とめどなく溢れてくるようで、シエルは慌てて彼女の左腕を強く掴んだ。
「なんて事を……っ」
 小言めいたことを叫ぼうとした瞬間、人ならぬ彼女の肌の冷たさに気付き息をのむ。
「冷たいでしょう」
 少女は笑いながら言った。
「腕も、血も。何もかも。暖かいハズのものが冷たいでしょう? だって、私は人間じゃない。あの日から『記憶の欠片』にすぎないんだもの。大丈夫よ、心配しなくても、すぐに記憶が私を修復してくれる……」
「……ネージュ……」
 うっすらと、紅い唇で笑う少女。その笑みはあまりにも壊れていて、哀しかった。
 人の形をした、人ならぬ存在。記憶の欠片--ネージュ・ノワール。
 シエルは、心の底から彼女を傷ましい--と思った。

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1.はじまりにあった存在 -7- [硝子の森]

「何か言いたそう」
 くすくすと笑いながら、ネージュは銀狼の鼻っ面を指先で軽く撫ぜた。
 背を向けて歩いて行った青年の後姿は、いつの間にか視界から消えている。
 少女はしばらく笑いやまないまま、狼の蒼い瞳を見つめていた。それからおもむろに、真剣な表情になる。
「わかっているよ」
 そして、再び浮かべた笑みは酷く曖昧なものだった。
「彼は、私の後継になる人だよね。彼の願いを叶えれば、私の役割はおしまい」
 ネージュはそっと地に膝をつき、銀狼の首を掻き抱くようにする。
「考えていたのよ? 彼を見ながら……」
 銀狼は静かに、呼吸の音さえを潜めて彼女の言葉を待った。
「私が消えたら、あなたは? あなたの存在はいつまで続くのだろうって……」
 彼女は固く眼を閉じて、銀狼の首にまわした腕に力を込める。
「私はたくさん、間違えたよ。間違えて、あなたの命すら奪ってしまった。だからね、今度こそ間違えない。あなたとずっと一緒にいるよ」
 囁くような声は、何故か悲鳴のようだった。シンと鎮まり返る空気の中、少女の声が響いてゆく。
「あなたが存在する限り、ずっと。私は『記憶の欠片』であり続けるよ」
 リュヌは躯の力を抜いて、ネージュの肩に己の首の重みを預けた。


--永遠に続く未来でもいい。

もう、決して。
二度と、あなたをひとりにはしないから……。




それは、まるで--秘密の庭。
現実からは遠い場所。
夢を見るように、緩やかに流れてゆく。
ふたり。
静かに、時間を漂う。


忘れないで、たくさんの記憶を--。
消えてしまうなら、痕を残して--。


その翼、裂けて朽ちても。
忘れないで--。

最期に辿り着いた--秘密の庭を…………。





第1話 -完-

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2.忘却 -1- [硝子の森]

 忘却は、罪。
 そう、言われる。

 忘却は、赦し。
 そう、叫ぶ。--声の限りに。


 忘れたくない。
 忘れてしまいたい。
 矛盾した、けれども、心の底からの2つの願いを。
 誰か、叶えてくれるのなら。
 僕は、僕の全てを捧げてもいい--。




 瓦礫の山の頂。
 そう表現するのが相応しい、大小様々な無機質な破片の山の上に、一人の少女が佇んでいる。
 淀んだ光が滲み出す灰色の空を見上げ、彼女は小さく嘆息を吐き出した。
「つまらないな。空の色は変わらないし。風の香りも変わらない。記憶が見せる情景には、様々な空があるのに」
 ねぇ、リュヌ--と、彼女は傍らに寄り添う銀色の狼に、同意を求めるかの様に小首を傾げてみせた。
 銀狼は僅かに喉を鳴らしてそれに応え、蒼色の瞳で少女を見上げる。少女はそれを受け、夜闇を切り取ったかの様な漆黒の瞳を和らげた。
「見てみたいな。記憶の断片じゃなくて、実際に私の眼で……。壊れてしまう前の、この世界。綺麗なものが沢山あった、この世界。いっそ、栄える前の世界のほうが、綺麗かしら?」
 くすくす笑いながら、彼女は銀狼の頭を撫ぜる。銀狼は眼を閉じて少女のなすがままだった。
 決して、清浄とは言えない風が、2人の間を吹き抜けて行く。

 汚れてしまった、世界。
 壊れてしまった、世界。
 もう、戻らない過去。
 贖うように、残された大地にしがみついて生活する人々。
 過去の己達が犯した、取り返しのつかない大罪のために。

 ふいに、少女がその場にしゃがみこんだ。
 身に纏う、淡い桜色に染められたワンピースの長い裾が、瓦礫の上にふわりと広がる。手の甲を隠すような広がりのある長い袖口に、瓦礫の汚れが付着するのも構わず、彼女は華奢な指先で地面を探った。
 細かい瓦礫の屑をかきわけた処に、淡い緑の植物が顔を見せる。
「こんな処で、頑張っているよね」
 誰にともなく、少女が呟いた。
 諦めない、生命。
 この世界が、完全なる再生を迎えることは、もう、きっと、ないのだろうとは思うのだけれど。
「でも……もしかしたら、見られるのかなぁ? エメラルドの森とコバルトブルーの海。そして、灰色じゃない空を。私達、長生きだけが取り柄だしね?」
 銀狼は後ろ足をおって、少女の隣りに座り込む。
「綺麗な世界を目にしたら、ヒトはまた……争い、奪い合うのかな」
 狼の背筋を撫ぜながら、少女--ネージュ・ノワールは、そう、虚ろに呟いた。

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2.忘却 -2- [硝子の森]

 ネージュはしばらくの間、その場にしゃがみこんだまま、ぼんやりとその名も知れぬ植物を見つめていた。
「多分、雑草だよね。でも、灰色の中にあると、とても綺麗だよね」
 同意するように、リュヌが喉を鳴らす。少女は微笑んで、漆黒の瞳を細めた。
 それから、埃に汚れた両手を打ちつけ、埃を払うような仕草をする。
「汚れちゃった、ね」
 微笑んだまま、彼女は立ち上がった銀狼の毛についた埃を払い落とした。
「今日は結構、冷えそうだね」
 ぎゅっと一回、彼の首に抱き付いてから、少女もすっと立ちあがる。
「あったかいところに、行こうね」
 囁くように、言われる。その言葉に応じるように、少女の手の甲を優しく舐めてから、銀狼は低く唸り声をあげた。
「なに?」
 その様子に、銀狼の目線を追う形で少女はくるりと身体を反転させる。
 そして、視線の先に、一人の少年を見とめた。その途端、少女の紅い唇が、ゆっくりと笑みの形を作り出す。
「こんにちは」
 突然かけられた声に、少年はひどく驚いて目を見開いた。彼の様子から、先程からこちらをうかがっていたことは計り知れる。
「こんにち、は」
 ぼそぼそと、風の中に消えてしまいそうな声音で、少年が一応挨拶を返す。
 細かい瓦礫の屑をのせて、風が吹きぬけた。
 少女の腰よりも長い、艶やかな漆黒の髪が舞うように揺らめく。
 その様に、僅かに見惚れていた少年は、ゆっくりと少女が首を傾げたところで我に返った。
 こつこつと靴音をたてながら、銀狼の背に手を添えこちらへ向かってくる少女に対して、畏怖に似た感情を覚える。
「あの、あなたは……」
 完全に臆した様子の少年に、ネージュは殊更に毅然とした笑みを向けた。
「私は、ひとつの記憶の欠片」
「え?」
 少々呆気に取られて、眼を瞬かせる彼のことなどお構いなしに、彼女は足を進める。
「君の望みは?」
 ネージュは少年の目前で、ぴたりと足を止めた。
 そして、細い腕を伸ばしてそっと彼の頬に右手を触れる。少年は、その指先の人ならぬ冷たさに、恐怖すら感じた様子だった。
 びくりと肩を震わせ、反射的に少女の手に己の手を添えてから硬直して動かない。
「君が、心から願うことは……?」
 重ねて問われて、少年は幾度か口を開閉させた。
 言葉にしたいことが、ある。けれども、それが、声にならない。
 そんな雰囲気だ。
 己と同じ程の年齢と思われる少女。
 しかし、その少女の瞳はあまりにも冷え切っていた。人としての、暖かみに欠けているのだ。
「俺の、願い」
「そう、君が心から願うこと。私はそれを叶えてあげる。勿論、代償はもらうけれど。君を……楽にしてあげられるよ? だって、そのために、君は私を見つけ出したのだもの……」
 謎かけのような彼女の言葉に、少年は混乱した。
 何故か乾ききっていた喉を湿らせるために、彼はごくりと唾を飲み込む。


 この禍々しくも思える美貌の少女が、何者なのか、わからない。
 素性も、名前も、何一つ、わからない。
 けれども、そんなことはどうだっていい。
 もしも、願いが叶うなら。
 --あるいは、叶わなくても。

 あの日から。ただ、ひたすらに欲していたものは、縋り付く場所であったからだ。
 例え、その相手が、悪魔であっても良かった。
 何を差し出してもいいと、思っていた。


「もしも……本当に、叶うのなら……」
 躊躇いがちに、少年の薄い唇が言葉を紡ぐ。
「俺は……」

 頬に触れていた彼女の指が、すっと遠ざかるのを感じた。縋りつくものが消えてしまいそうな恐怖心に囚われ、彼はネージュの手を強く掴む。

「俺の望みは……」

 少年は、細くて白い彼女の指先を握りしめ、囁くように言葉を絞り出した。


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