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2.忘却 -5- [硝子の森]

「俺の記憶を、壊してくれ。俺の記憶から、彼女--リシュィの全てを消してくれ。そして、彼女の記憶からも俺の全てを」
 少年--ハルァはそう言って、きつく両手を握りしめた。
 忘れてしまいたい。忘れたくない。
 矛盾する二つの感情。幸福の記憶。消したくはない感情。けれども、未来を生きていくためには哀しすぎる、その記憶。
「いいよ」
 短く、ネージュが囁いた。
「楽に、してあげる。その代償に、私は君の幸せをもらうけれど」
「幸せを?」
 怪訝そうに眉を寄せた少年に、ネージュは謎めいた笑みを向ける。
「何をもらうことになるかはわからない。ただ、君にとっての幸せを。『記憶の欠片』は、それを代償に君の願いを叶えるの。願いが叶うってことは、幸せになれるってことじゃないから。……楽になれるのと、幸せになれるのは、決して同じじゃないから。だから、ね。幸せになりたいって願う人は、決して『記憶の欠片』を見出すことは出来ないのよ」
 彼女の言葉の意味を飲み込めないでいる少年に、ネージュは自嘲的な笑みを見せた。
「わからなくて、いいよ。わかってもらおうなんて思ってない。君が決めなくちゃいけないことは、願うか願わないか。それだけだよ」
「あなたは、何者なんだ?」
「『記憶の欠片』」
 再び問われたためだろうか、彼女は必要以上に冷えた声を発する。
「君には、わからない。話しても、わからないよ」
 そして、願いを叶えるか否かを重ねて問うた。
「俺は……」
 ハルァはしばし迷い、視線をゆっくりと彷徨わせる。
「リシュィ……」
 しばしの後、視線をネージュに戻してから彼はゆっくりとその黒眼を閉じた。
 瞼の裏に……忘れたい、けれども忘れたくない、彼女の顔と姿を思い浮かべる。リシュィの笑顔を、思い浮かべる。

 自分らしく生きられない。この世界。
 時間は自分をおいて、先へ先へ進んでしまう。
 戻せない時間が、膨れ上がって。後悔の海に溺れてしまう。
 どれほどに繕っていても、心は涙を流し続けているから。
 心の底から、笑えなくなってしまったから。
 生きているのに。ここに、存在しているのに。

「消して……くれ。俺と、彼女のお互いの記憶を」

 やがて。はっきりと彼の唇から吐き出された言葉に応じて、白い陶磁のような肌の少女は少年の額に手を触れた。
 あまりにも冷たいその感触に、思わず身震いしながらも、彼は瞳を開けることなくリシュィを思う。
「さよなら」
 別れを告げる己の声に、あの日の彼女の言葉が重なるようだった。

「出会わなければ、良かったね……」




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