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1.はじまりにあった存在 -6- [硝子の森]

「そのあと『記憶の欠片』が現れた。彼に縋りつく私を見て、まだ旅立っていなかった彼の魂を、彼女の最後の力でリュヌにしてくれたの」
 ああ、そうか……と、青年は思った。だから、この少女は喪服を着ているのだ、と。
 リュヌが生まれた日は、そのまま『彼』が亡くなった日を指し示すのだ。
「『記憶の欠片』は、その後で、私に世界が壊れる前のことを少し教えてくれた。私が、混乱しないようにって。あまりにも今と違うものが多いからって」
 そんな青年の思いを知ってか知らずか、少女は淡々と語り続ける。
「君は……全ての記憶を。世界の全ての記憶を持っているのかい?」
 ふと気になって、そう訊いてみた。そうだとしたら、心が破裂したりはしないのだろうか。それが気に掛かったのだ。
「ううん。違うよ。んっとね、その辺を漂っているような感じ。通り過ぎていくっていうか……。時折私の前に現れて、夢を見せてくれるような感じよ」
 全部の記憶を持っていたら、気が狂っちゃうわ。と彼女は笑った。
 この世界には楽しいことよりも哀しい事の方が多くて、辛いもの……と。
 青年は、逡巡してから彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。少女は彼の緑色の眼を反らすことなく見つめ返す。
「僕にはね……記憶がないんだ。気が付いたら、今住んでいる村にいた。村の人に拾われたんだ。その人の話によれば、僕は一人で村から少し離れた荒野に倒れていたらしい。名前すら覚えていなかった僕に、彼らはCielという名をくれた。僕は、今、それなりに幸せなんだ。望むものなんてないと思う。それでも、僕の心の奥底に望みがあるとするなら……それは、失われた記憶に関わっているのかな? 君には、それが何だかわかるのかい? ネージュ」
「わかる、よ。君の、心の声が聞こえるから。心は覚えているから。君が喩え全てを忘れてしまっても、失ってしまっても。その心だけは、鮮明に全てを覚えているの。そして……叫びつづけている。求めつづけている」
「教えてくれとは……、言えないのだろうね。きっと」
 躊躇いがちに吐き出された問いに、彼女ははっきりと頷いて見せた。
「それは、あなたが思い出すことだから」
 青年は小さく頷いて、右手を差し出す。
「また、君に会えるかい?」
 ネージュは掴み所の無い表情で微かに笑い、青年--シエルの手をとった。
「君に、望みがある限り、君は私を見つけることができるよ。『硝子の森』は君を歓迎する」
「硝子の森?」
 訝しげに彼が首をかしげ、少女は自分の言葉が足りなかったことを悟る。
「ここの辺り、崩壊前は『高層ビル群』っていうものだったんだって。高い高い建物の群れ。その建物には、風は通さないけれど、光は通す透明の硬いものが張り巡らされていてね。崩壊を迎えてしばらく、その『ガラス』と呼ばれるものが砕けて、地に刺さって、まるで森のようだったって。だから、この辺りは『硝子の森』って呼ばれているの。……私は、いつもここにいる」
「硝子……」
「うん。キラキラしてる。凄く綺麗よ? 破片しか、もう、存在しないけれど」
 そういって、少女はおもむろにしゃがみこんだ。指先が地を彷徨い、すぐさま目標物を見出してそれを摘み上げる。
「これが硝子の欠片。風に晒されて丸くなっているけれど」
「綺麗だな」
「でしょ? 他の土地には、もうあまり残っていないの。……これは、危ないものでもあるんだよ。見てて」
 笑いながら、彼女は手近にあった瓦礫のひとつに硝子の欠片を打ち付けた。高く澄んだ、けれども耳障りな音がして、欠片は綺麗に二つに割れる。
「彼が、生命を絶ったのも、この破片だった……」
 虚ろに呟きながら、少女は欠片の尖ったほうを己の左手首に押し当てた。一瞬の後、彼女の手首に紅い筋が疾る。
 それは、とめどなく溢れてくるようで、シエルは慌てて彼女の左腕を強く掴んだ。
「なんて事を……っ」
 小言めいたことを叫ぼうとした瞬間、人ならぬ彼女の肌の冷たさに気付き息をのむ。
「冷たいでしょう」
 少女は笑いながら言った。
「腕も、血も。何もかも。暖かいハズのものが冷たいでしょう? だって、私は人間じゃない。あの日から『記憶の欠片』にすぎないんだもの。大丈夫よ、心配しなくても、すぐに記憶が私を修復してくれる……」
「……ネージュ……」
 うっすらと、紅い唇で笑う少女。その笑みはあまりにも壊れていて、哀しかった。
 人の形をした、人ならぬ存在。記憶の欠片--ネージュ・ノワール。
 シエルは、心の底から彼女を傷ましい--と思った。

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