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1.はじまりにあった存在 -5- [硝子の森]

「但し、ひとつだけ条件がある」
 涙を拭う少女に、老婆が言った。
「真実を、相手にうちあけること。自分が過去の存在であると、告げること。それが条件だ」
 それは当然のことだ。彼女は大きく頷いて、了解の意を示した。


 そして、今。瓦礫の上に、静かに少女は立っている。
 彼女に向かい合うように立つのは、短く切り揃えられた銀の髪を持つ青年だった。彼の二つの瞳は、澄んだ蒼色をしていて、かつての空はきっとこんな色だったんだ。と、少女は思う。
「どうかしたの?」
 自身を呼び出しておいて何も切り出さない少女に、青年がそう問うて来た。
 彼女はびくりと身を竦ませて、定まらないでいた視線を彼に固定する。
「どうしても、伝えたいことがあって」
「珍しいね。君がそんな硬い表情をしているの。もしかしたら始めて見たかもしれないな」
 彼は、柔らかく微笑んでそう言った。
「うん、そうかもね」
 曖昧に笑んで、少女はまた空を見上げる。彼とまともに顔を合わせることが出来ないのだ。
 それは、起きてしまった現実のせいなのだろうか、それとも巻き戻した時間への後ろめたさなのだろうか。とにかく、こんな表情を見せるのはきっと初めてだ。そして、これが最後になる。
「あのね」
 彼女は、歯切れ悪くそう呟いた。
「黙って、聞いてね。口はさんだら、やだよ?」
 怪訝そうな顔で。けれども頷いてみせる彼に、少女は強張った笑みを向ける。
「あなたのこと、とても大事に思っているんだよ。言ったこと、なかったけれど。あなたは私にとって、とても大切な人だった。今まで、ありがとう。私を愛してくれてありがとう。とても、幸せだった」
 青年は蒼色の瞳を細め、僅かに戸惑ったような表情になった。
「うれしい言葉だけれど。どうして、過去形なの?」
「もう、過去だからよ」
 はっきりと言葉を紡いでから、少女は泣き出すまいと唇をかみ締める。
「どうして?」
「あなたにとっては、もう、過去だから」
「ごめん。言っている意味が良くわからないよ」
 眉間に寄せた皺を深めて問う彼に、少女は簡潔に事の顛末を説明した。
「--だから、あなたにとってはもう過去のことなの。けれども、私はこの言葉だけどうしても伝えたくて。今のあなたは、決して私の言葉を聞いてはくれないから。だから、『記憶の欠片』に願いを叶えてもらったの」
「やっぱり、意味がわからないな。一体、どうしたっていうんだ?」
 苛ついた様子を隠せず、彼はそう言葉を紡ぐ。少女は曖昧に微笑んで見せ、小さく首を横にふった。
「うん。わかってくれないでいいよ。わかってって言うほうが無理だもの。ただ、私はもう、どこにもいない存在で、あなたにとっての過去なんだってこと。そして、あなたをとても愛していた女がいて、愛されて幸せだったって事。それだけわかってくれたら、いい。それ以上は、何も望まないよ」
「…………」
 尚、理解に苦しんでいる様子の彼に、少女は嘆息と共に言葉をかける。
「今、あなたは、私の傍にはいないの。別の人の傍らで、幸せに暮らしている。私はさっきの言葉を伝えたいがために、無理矢理、あなたの時間だけを戻してもらったのよ。それと引き換えに、私は私の存在を失くすの。だから……もう、あなたとは2度と会えない」
 青年は何度か唇を開閉させて、言葉を捜している様子だ。
「さよならなの」
「勝手すぎる」
 少女が放った別れの言葉に、やっと、彼はそう言葉を吐いた。
「うん。わかってる。でも、何も伝えられないでいなくなるのは嫌だった。伝えるのが遅すぎたこともわかってる。物凄く、勝手だっていうのもわかってる。でも、貴方は実際に違う道を選んだのだもの。私がいなくたって、大丈夫なはずでしょう?」
「僕は、そんな未来、知らないよ」
「けれど、実際に、起こったことよ」
 少女は低く呟いて、青年に寄り添う。そして、その背に腕をまわして、そっと愛しそうに彼を抱きしめた。
「元気で」
 溢れそうになる涙を無理矢理に堪え、彼女はそう言って笑う。
「……存在を失くすって……」
「人間じゃなくなるの。私という人間は、消えちゃうのよここから。あなたは……巻き戻されたあなたの時間は、あと少ししたら元に戻るから。だから、安心してね?」
 掠れた声で伝えながら、少女は彼から離れた。それから、心を断ち切るようにして、踵を返す。
「どうして」
 心の整理がつかないまま、ぼんやりと彼は呟いた。
 その言葉は、そのまま彼女の言葉でもある。
「ずっと、あなたを見ているから……」
 彼に届くか否かの、小さな声で少女が囁いた時。パリン--と、何かを踏み砕く高い音がした。
 澄んだ音。
 それは。
 不審に思った少女は、慌てた様子で振り返る。
「何を、……」
 彼女の瞳に映ったものは、割れた廃墟の透明な破片--それはかつて硝子と呼ばれるものだったが--を右手に握り締めている青年の姿だった。
 鋭利な欠片は、当然のように彼の掌を傷つけて、紅い筋を作っている。
「何してるの?」
 喉が異様に渇くような、張り付くような、そんな感覚がした。
「信じることなんて出来ないけれど。僕が違う道を選んだというのならば。君に信じてもらえるように。今度こそ、間違わないように。……僕は、君と共に行く。永遠に、僕は、君と共にある」
「なに、言ってるの?」
 声を張り上げようとすればするほど、掠れた声しか出せない。それでも、少女は慌てて青年の立つ方に足を進めた。
「馬鹿なこと、言わないでよ!」
「……馬鹿なこと、かな? 君のいない未来なんて僕にはいらないんだ。それ程までに想う君とは別の道を歩いているなんて、信じられないんだ。君がさっき言ってくれたことなんて、知ってたよ。言葉でもらったことはないけれど、知っていた。それなのに、時間を戻さなければそれを聞くこともしない、僕の未来なんて……」
 自嘲的な笑みを浮かべ、彼は応える。そして……そのまま、瓦礫の破片を己の首筋にあてがった。
「やめ、て……っ!!」


 腕を伸べかけた、少女に。--紅い、飛沫が降りかかる。


「どうして?」


 少女は、そのまま、その場に膝を折った。


「私は、また……間違ったの?」


呆然と呟く言葉が、虚しく廃墟に吸い込まれる--。


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